□ ボーダー □



 死に損いの人間にしかなれなかった。


 僕は被害者にしかなれないのだろうか。
世間からもたらされる視線の意味も理解しているのに、やめられない疑似自殺。
愚かだと詰る気力すら残されてはいなかった。


 生きたくて仕方なくて、必死で切り刻んだ腕から伝わるのは苦痛と言う名の生きる意味。
欲しかった存在意義は、とても儚くて脆いものだった。
あっけなく崩れ去り僕の中から消滅したのだ。


 怖かった。
息が苦しい。
居場所がない。
生きる場所が僕の前には用意されていない。


 伸ばした手に、誰も気が付かない。
叫んだ声は、誰にも届かない。
もう他に伝える術など残されてなかった。
内面が見えぬのなら外面に表すのみ、と。


 そうして、「何故こんなことを」と嘆く人々。
知って欲しかった傷は、外面に突出したことによって、更に拡がってしまった。


どうしたら解ってくれますか、僕の苦しみに。
どうしたら解放してくれますか、この地獄から。


 踏みにじられた。
心が死滅して、何にも感じられない人間にと成り果ててしまった僕。
唯一の救いは苦痛を感じるこの躯のみ。
流すのは涙じゃない。
真っ赤に濁った体液だけ。
腕から流れては枯れた僕の体を潤していく。


タダ生キタクテ。
生キル意味ガ欲シクテ。
何度モ壊シタ心。
タダ其処ニ居タクテ。
存在意義ニ溺レタクテ。
何度モ傷付ケタ腕。


 だけど、僕は間違っていたのだろうか。
君の腕には傷がない。


 悔しい、と言っては涙を堪えて。
唇を噛み締めるその顔が、僕には綺麗に思えた。
痛いの、と痛々しく微笑んで俯いた君が、僕の腕を掴んだ。
袖の上から幾度も指先で撫でていく。
君の唇が動く。

「ココとどっちのが痛いかな?」

暗い目を晒して聴く癖に、君に自傷を行う気がないことは解っている。
君は強さと脆さを両方手にしている。
辛いと逃げはしても、最後の一線を越えることはしない。


 君と僕は違うのだ。
君は僕の方には来てくれない。
アンタがおいでよ、って笑いながら手招きをする。

「私は、アンタが羨ましいけど。……でもね、私には勇気がないの。裏切るだけの勇気が持てない。だから、アンタが此方に来てよ」

掴まれた腕に君の頬が押し当てられた。
服越しに感じる温もりに砕けた心が少しだけ繋がる。

「ねぇ、アンタと生きたいの。私が越えれなかった向こう側にアンタはいるけどさ、大して変わらないと思うんだ。だから、腕なんかと仲良くしてないで私と仲良くしようよ」

解るような解らないような言い分に笑みが溢れる。
可笑しかった。
君にとってこのボーダーラインは越えれないぐらい大きいのに、逆に小さくもあるんだと思う。
僕と君の距離は遠いようでいて近い。

「何、腕に妬いてんの?」
「うん、すっごく! だって、アンタの傷を癒せんのは、腕じゃなくて私でしょ?」

揶揄い混じりに言った台詞は真面目な顔で肯定されてしまった。
頬を膨らませて頷く彼女の様が可愛い。

「……癒してくれんの? 僕の方に来れないのに?」
「アンタだって、此方にいないのに私を癒してる。だったら私にだって出来るよ。それに、アンタは此方に来る運命だから大丈夫!」

自信満々に胸を張って僕の腕から手を離した君が立ち上がる。

「勝手に決めるなよ。僕はまだ、行けないから」
「嘘吐き。本当は来たい癖に」

責めるみたいに君は僕を睨んでくる。
真っ黒で真ん丸い瞳が真っ直ぐに向けられて。
僕は何も言えない。
君の瞳が綺麗すぎて言葉が出せなかった。

「まあ、来ないなら別に良いけど。いつまでも被害者ぶってれば?」

君は時たま、爆弾を投げる。
自らの発した言葉の威力を理解していないからタチが悪い。

「私は待っててなんかあげないから。先に行っちゃうよ? アンタの手の届かないトコにさ」

踵を返して君は僕から離れていく。
焦りが僕の中に生じた。

「待てっ、て」

辛うじて引き留める声が口を出た。
立ち止まる君。
振り向いたその顔は不安気であった。

「いつまで待てば良い。何れだけ待ったら、アンタと並べる? それとも私が行かなきゃ駄目か? っんなこと出来ねぇよ! ばぁろぉがっ」

君は怒鳴りながら泣いていた。
人前で涙を流すのが一番嫌いな君が。


 初めてだった。
見たことのない泣き顔。
頬を伝い落ちる涙にやるせない想いが胸に広がる。

「好きって、言った癖に、本当は、アンタが、愛してるの、その腕なんでしょ。苦痛から救って、くれる腕しか愛し、てないん、じゃん!」

嗚咽を堪えるように途切れ途切れに告がれていく彼女の想いに躯が自然に動いていた。
君に歩み寄って抱き寄せて。
ごめん、と呟く。
腕の中で暴れる君に何度も告げた。

「要らないのに。愛なんて痛いだけだった。アンタが私を好きだなんて言うから、可笑しくなっちゃったんだ。責任取れよ、バカ」

暴れても敵わないと諦めたのか、大人しくなった君が僕の胸に顔を埋めた。

「うん、責任なら幾等でも取るよ。だから、いなくならないで。腕なんかより好きなんだ。何よりも大切で愛しくて」
「……アンタが傍にいてくれないとフラフラするかも。早く此方に来てよ。不安で仕方ないんだから」
「でも、僕の居場所はそっちにない」

弱々しい僕の態度に顔を挙げた君の制裁が降り掛る。
ドンッと胸を押されよろけた僕から君は逃れた。

「バッカじゃないの? 居場所はね、自然に出来るものじゃない。自分で作りあげるもんなんだよ。そんなことも解んねぇのか、アンタはっ」

片手を腰に宛て、もう片手で僕を指差して。
ビシッと言い切った君。
心底バカにした表情を僕に向けている。
初対面もこんなんだったな、と思い出して僕は笑い出す。
何笑ってんだ、と怒り出した君に釈明をして。
誤解が解けた頃には君も笑顔になっていた。


 手を差し延べる。
握られる感触。
僕と手を繋いで笑っている君。


 世間が僕をどんな目で見ているかは知っている。
誰も近付こうとはしなかった僕の抱える闇に、君は意図も簡単に近付いてきた。
罵倒をしたかと思えば羨ましいと言い、僕を戸惑わせてくれた。
初めて傷の意味を理解してくれた彼女は、遠い存在で。


 ボーダーを越えてしまった僕と、越えれなかった君の間には、薄くても確かに壁が存在している。
彼女はそれを壊そうと僕に歩み寄るのに、僕は恐れから逃げるだけなのだ。


 だけど、それも終わりだろう。
君無しでは呼吸も出来そうにない僕は、君を失わないために一歩を踏み出すしかないのだ。


 僕等は被害者と言う共通項を持っている。
被害者にしかなれなかった僕とは違い、君は加害者になることすら厭わずに地獄に立ち向かっていく。
僕も君と一緒に加害者になろう。
悲観しか出来ない自分とは別れを告げて──




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